オリジナルコンテンツ

【ギャラクシー賞テレビ部門2月度月間賞】-「GALAC」2020年5月号

ザ・フォーカス
「ヤジと民主主義~警察が排除するもの~」

2月2日放送/25:20~25:50/北海道放送

 2019年7月15日、札幌駅前で行われた参議院選挙自民党候補の応援演説を行う安倍総理に向けて、「安倍やめろ」と声をあげた男性や「増税反対」の声をあげた女子大学生が、複数の警察官によりその場から排除された。別の場所では無言でプラカードを掲げた女性たちも警察官に囲まれた。
 地元局の北海道放送が、この警察による排除行動の正当性を真正面から問い直した本作は、あきらかに演説妨害にはあたらない人々を排除することの違法性を論理立てて解説する前半から、後半では言論や表現の自由を警察が取り締まった治安維持法へと話をつなげていく。30分と短い尺ながら、論点にブレのない、今、作られるべき番組だった。
 冒頭、歓迎する人たちに笑顔で答える安倍総理と、批判の声をあげた人々が周囲の警察官に排除される映像が交互に映し出される。排除の様子を捉えた映像はすでにネットに出回っていたが、こうして番組として見せられると、改めてその異常性が際立った。21人の警察官がたった一人の男性を取り囲み、排除の法的根拠を聞いても「法律にひっかかっているのではなくて、やめようって言ってるの」と繰り返すばかり。排除された女子大学生に付きまとう二人の女性警察官も口々に「声をあげないって約束してよ」「今日はもうあきらめて」「お願いお願い」と言葉を重ねる。警察官たち自身が、排除に法的根拠はないことを理解していながら、上からの指示で仕方なく動いていることがわかる。
 また、排除の場面を捉えた映像を見ていると、「安倍総理を支持します」といったプラカードを掲げた1000人以上の観衆の、まるで書き割りのような熱のなさが印象に残った。そのなかでたった一人、「安倍やめろ」と自分の声をあげた男性を排除する警察官。政権への異論を警察が封じることの危機感を伝える番組だったが、同時に政権側が「声をあげる国民」へ抱いている危機感もまた、くっきりとあぶり出されていたように思えた。(岩根彰子)

「イントレランスの時代」
2月2日放送 /26:30~27:30/RKB毎日放送

 不寛容が争いや憎しみを生み、戦争を引き起こしているという視点で描かれた100年前のサイレント映画『イントレランス(不寛容)』のシーンで番組は始まる。制作したのは自閉症の長男の成長を追ったセルフ・ドキュメンタリー「うちの子 自閉症という障害を持って」で2005年にJNNネットワーク大賞を受賞したRKB毎日放送の神戸金史記者。2016年の津久井やまゆり園事件後、障害者の子を持つ親の気持ちを文章にして1万以上のいいねと3000を超すシェアがあったフェイスブックの投稿でも知られている。
 この番組はその大量殺傷事件の植松聖被告に向き合い、被告の造語である心失者と同じように特定の民族を一括りに要らないものと決めつけるヘイトスピーチにも向き合った。植松被告と接見を重ねるうち、社会の役に立たないと見なされたら、障害者だけでなく老人にまでその刃は向けられたかもしれないとわかって慄然とする。さらに、ヘイトスピーチを取材する沖縄タイムスの阿部岳記者、神奈川新聞の石橋学記者と神戸記者たちは日本第一党の桜井誠党首から胴間声で怒鳴られて、私も胸がふさがる思いがする。
 ただ、このなかで映画の有名なゆりかごの場面を使い「憎悪と不寛容は人間愛と慈愛をさまたげる」と随所で立ち止まって考えさせていて、憎悪を拡散するだけにならないよう、注意深く工夫して構成している。非道さや理不尽さに怒りをぶつけるだけでは彼らの術中にはまるだけなので、フェイスブックという表現手段もとり、番組も一人称で語り通した。
 横浜地裁が死刑判決を言い渡した前日、神奈川新聞は「(死刑は)生きていい人間と、そうでない人間がいるという二分法を認めることになる」という辺見庸の見方も報じ、私は死角を衝かれた。神戸記者は、植松被告から残酷な言葉を向けられて「ヘイトの標的にされた人々の気持ちが初めてわかった気がした」と言い、この不寛容の時代の先に互いの弱さへの共感を見つけようとしている。互いの弱さを認め合えば寛容になれると確信しているからに違いない。(福島俊彦)

土曜ドラマ
「心の傷を癒すということ」

1月18日~2月8日放送/21:00~21:50/日本放送協会

 阪神・淡路大震災発生時、被災者の心のケアに奔走した精神科医・安克昌氏の手記を元に彼の半生を描いた本作。落ち着いたトーンの映像と、淡々とした日常の描き方のなかにも、安さんの残した強い思いが伝わってくる作品である。
 驚いたのは、今では当たり前に必要だと思われている心のケアが、阪神・淡路大震災の頃にはまだ周知されておらず、安さんの奔走もあり、ここまで来たのだということだった。
 このドラマのなかでは、しばしば傷ついた人たちが、自分を奮い立たせるために、心の痛みや内なる叫びに蓋をして、強がっているシーンがある。例えば、安(柄本佑)の父親(石橋凌)は、自身の事業が厳しくなってきても弱音を吐けずに強がったし、安が避難所で出会う小学生の少年ですら、そこにはいないおじいちゃんから「男のくせにそんなに弱いんかって笑われ」てしまうと、頑張って強がっていた。しかし、安はそんな人たちに、常に弱さは見せてもいいんだ、弱さを認めたほうが強くなれると訴え続けた。
 あるとき安は自身ががんであることを知る。安自身も、そんなとき、家族を前にすると、痛みを訴えたり、弱さを見せたりすることに耐えてしまうのだが、彼の恩師である永野良夫(近藤正臣)が病室に見舞いに来た際に「悲しみや苦しみを表現することは、はしたないことやない。君、本にそう書いてた」と言うシーンがあり、ハッとさせられる。
 本作は、安さんが訴えてきた「寂しさや弱さを認めて寄り添うこと」を見ているものに気づかせることが主題であったと思う。それは「寂しい」という言葉に集約されていた。最終回で安に先立たれた妻が「寂しいわ……」とつぶやいたとき、すでに亡くなった安が、なんとも言えない表情をして妻を見ている姿が印象的だった。
 現在もいつ収まるかわからない新型コロナウイルスの不安にさいなまれている人も多いだろう。こうしたときにこそ必要な作品だと思われた。(西森路代)

NNNドキュメント’20
「静かな時限爆弾~阪神大震災25年 迫るアスベストの脅威~」

2月16日放送/24:55~25:24/読売テレビ放送

 垂れ込める濃霧のような粉塵のなか、歩行者や自転車が顔をしかめながら通り過ぎていく。1995年の阪神・淡路大震災後、倒壊した建物の解体現場での光景だ。そのとき、建材に使われた大量のアスベストが宙を舞い、肺に吸入されていたことなど誰が知ろう。それがわかるまでに25~30年かかり、見つかったときには余命1年というから、まさに時限爆弾だ。
 アスベストが原因の中皮腫の発症経緯にも驚かされたが、何より恐ろしかったのは、震災後の大混乱のなか、行政も解体業者も薄々わかっていながら、水撒きなどの粉塵対策をせずにビルを解体していたことだ。当時の調査映像のなかで、作業員が「(こんな状況で)どないすんの? 法律通りにはムリ」と口にしたのは本音だろう。
 街の再生が急務なとき、アスベスト対策が後回しになったというのは、いかにもありそうな話だ。
 中皮腫で亡くなった明石市の清掃作業員の遺族が起こした労災補償請求とその後の裁判を伝えながら、作業に直接携わった者ばかりか近隣住民にも被害が及んでいる現実を、番組は指摘。全国で推定280万棟にアスベストが残っている可能性があるというが、それらの実態把握がなされぬまま、場当たり主義的に解体・処分が進む。
 さらに各地で頻発する地震や台風などの自然災害がそれを加速させる。とりわけ、番組では直接触れてはいないが、誰もが想起するのは東日本大震災だろう。あの混乱のなか、粉塵対策が十分施されていたとは到底考えられない。大気汚染防止法が改正され罰則も設けられたが、適用例はないという。しかも縦割り行政の弊害で効果的な施策は期待しえない。となると今後、新たな被害者が連鎖的に浮かび上がってくる構図が容易に見てとれ、新たな時限爆弾のスイッチが入ったと思わざるを得ない。
 30分枠ながら要所をきちんと押さえた告発リポートは、悪夢のような余韻を漂わせながら災害大国・日本の将来に一石を投じた。(旗本浩二)

★「GALAC」2020年5月号掲載