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【ドラマのミカタ】-「GALAC」2020年9月号

「最高の座組み」ゆえの歯がゆさ
「MIU404」

木村隆志

これを書いている7月、1クールまるごと延期した形でようやく春ドラマが放送され始めている。シリーズ作の続編が多いなか、唯一の新作オリジナルドラマとして最も期待されていたのが当作。脚本・野木亜紀子、演出・塚原あゆ子、プロデュース・新井順子、主題歌・米津玄師と聞けば、ドラマ好きなら「とりあえず見てみよう」と思うはずだ。いや、「見て損はないだろう」という何よりの保険かもしれない。
実際始まってみると、物語はよくまとまっているうえにバリエーションも楽しめそう。映像は緩急自在で、ダイナミックかつエモーショナル。キャスティングも人気と技量のバランスが取れている。作品としてのクオリティは高く、非の打ち所がない……と言いたいところだが、正直どこか物足りなさを感じてしまった。その理由は対照的なバディの活躍する一話完結の刑事ドラマだから。これはシンプルだが、実に根深く、ドラマの闇を感じずにはいられない。
刑事ドラマの過剰供給は今に始まったことではなく、それが視聴率安定の手段である一方、若年層の他メディア流出につながっていることを否定できるテレビマンは少ないだろう。だからこそ、これほどのスタッフを投入して制作するのは消極策にしか見えないのだ。前述した4人は、2年前に放送された「アンナチュラル」と同じ座組みだが、当時も同じ思いを抱いていた。同作はクオリティの高さを称賛されながら、視聴者層と話題性という点で国民的なヒット作とはなっていない。やはりあまたある刑事事件を扱った一話完結ドラマでは、国民的なムーブメントにならないのではないか。「JIN―仁―」「家政婦のミタ」「あまちゃん」「半沢直樹」「逃げるは恥だが役に立つ」……2010年代を振り返ると、そんな思いを拭い去れずにいる。
もちろんクオリティの高い作品を手がけることは大切であり、その意味では敬意を表したい。しかし、なぜ刑事事件、しかも殺人ばかり扱わなければいけないのか。なぜ国民的ヒット作を狙わないのか。この疑問が解消されない限り、ドラマの視聴者層は固定されていくだろう。
そして間の悪いことに、新型コロナ禍で世の中は重苦しいムードに包まれ続けている。テレビをつければ朝から夜までコロナ関連の深刻な映像ばかりだ。そんなときだからドラマでは殺人事件よりも、スカッと爽快な物語やカラッと明るいキャラクターが見たいのではないか。見れば見るほど、そつのない作品だけに、最も重要なスタート地点のプロデュースが保守的であることに歯がゆさを感じてしまう。

~著者のつぶやき~
外出自粛中、最大の話題作は韓国ドラマ「愛の不時着」だった。「野木亜紀子ならこれくらいの作品は書ける」と思ったが、テレビ局がマーケティングの枠に押し込めてしまえばそのクオリティは発揮できない。

★「GALAC」2020年9月号掲載