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【ギャラクシー賞テレビ部門5月度月間賞】-「GALAC」2022年8月号

日本で夢を追った沖縄の二人

「ふたりのウルトラマン」
5月2日放送/21:00~22:30/日本放送協会 東京ビデオセンター NHKグローバルメディアサービス

沖縄の本土復帰直前に、日本を席巻したともいっていい「ウルトラマン」。それを生み出した円谷プロダクションに二人の沖縄出身の脚本家、金城哲夫と上原正三の存在があった。
復帰前の沖縄からパスポートを握りしめやってきた上原を金城が迎え「ヤマトゥーンカイ、マキティナイミ!(日本人に負けるな)」と声をかけるところから始まるドキュメンタリー・ドラマは、あまりに有名なヒーローとそれに続く子ども番組が生まれる裏側を、当時を知る人々の声を聞きながら丁寧に描いてゆく。
沖縄に生まれた金城が、日本という地で夢を追い、そのなかで円谷一という盟友を得る。が、半ば夢破れる形て沖縄へと戻る。そこで日本と沖縄の架け橋となろうと努めるが、一転して沖縄のなかで他者となってしまう。その葛藤のなかで夭逝するのだが、この物語は、沖縄の問題が決して国際情勢や軍事、経済などの制度的問題や社会構造の問題だけではなく、アイデンティティの問題なのだと気づかせてくれる。
満島真之介の怪演ともいえる好演技は、そんな金城の葛藤しながらも前進する姿を浮き彫りにした。同時にその対比とでもいうべき上原の存在も、当時のテレビにかけた人々の想いや本音、そして真実を描き出す。あのウルトラマンとはなんであったのか、今まで知られなかった事実や証言などが描き出す。のみならず、彼らの葛藤からは、沖縄とは何かという大きな問いかけがあらわになる。
ストレートな報道やドキュメンタリー、情報番組などとは違い、金城や上原や円谷たちのドラマのうちに沖縄が50年抱えてきたものが見えてくる。それこそがこの番組の深層にある素晴らしさだろう。ドラマは、金城亡き後に、沖縄の彼の書斎を上原が訪れるシーンで幕を閉じるが、そこで上原が発するのが「ヤマトゥーンカイ、マキティナイミ」。ここで再び沖縄と日本とが対比され、浮き立つ。思わず引き込まれ驚き、感動し、そして考えさせられる。まさにテレビの力を発揮した番組だった。(兼高聖雄)

いかに大真面目にふざけるか

「私のバカせまい史」
5月6日放送/24:58~25:58/フジテレビジョン

良いバラエティ番組の条件とはなんだろうか? 一つは、どんなささいなことも面白がる好奇心の強さではないかと思う。もちろんアイデアや企画力、出演者や演出の力も必要だが、なんでも面白がる気持ち、そしてその根底にある作り手の熱量が高ければ高いほど、視聴者は自然に惹きつけられるものだろう。
この「私のバカせまい史」は、まずそうした熱量がぐいぐい伝わってくる番組だ。タイトルの通り、誰も調べたことがないような「せま~い歴史」をピンポイントで取り上げ、バカリズムら出演者たちがその調査の成果をプレゼンしていく。前回放送分での「ものまねされ続け40年!武田鉄矢のものまね進化史」なども出色だったが、今回も粒ぞろいのネタが揃った。
昼ドラに登場した「たわしコロッケ」や「財布ステーキ」などおどろおどろしい料理の歴史をたどる「ドロドロ昼ドラ『愛憎グルメ』史」、『犬神家の一族』でおなじみの湖から突き出た歴代の足の変遷を考察する「犬神家の一族『スケキヨの足』史」など、マニアックな目の付けどころの面白さはもちろん、入念な調査と取材から発掘される意外な事実もあり、笑いながらもよくここまで調べたものと感心してしまう。
ふと思い出したのは、「カノッサの屈辱」(1990〜91年)だ。さまざまな現代の流行現象を実際の歴史上の出来事に当てはめてもっともらしく解説する教養番組のパロディ。かつて同じフジテレビが深夜に新しいバラエティ番組を次々と開発し、テレビの可能性を広げていた時代を代表する名番組だ。テイストは異なるとは言え、「私のバカせまい史」からも、当時のフジテレビに横溢していた遊び心がよみがえったかのような、とても懐かしい感覚を味わった。
バラエティ番組の勝負は、いかにして大真面目にふざけるかにかかっている。そして今の時代、バラエティ番組には、そんな大真面目な遊び心が再び強く求められているのではないだろうか? この番組のような確かな希望の芽を大切に育てていってもらうことを、一視聴者として切に願いたい。(太田省一)

50年前の高校生の思いは道半ば

ETV特集「君が見つめたあの日のあとに~高校生の沖縄復帰50年~」
5月14日放送/23:00~24:00/日本放送協会 オルタスジャパン NHKエデュケーショナル

5月15日、沖縄は本土復帰から50年を迎えた。番組ディレクターの吉岡攻さんは、復帰前の4年間、カメラマンとして沖縄で3万枚の写真を撮った。当時の沖縄では、ベトナム戦争に向かうB52が墜落・爆発し、米兵による女子高校生刺傷事件などの犯罪が繰り返されていた。写真には、高校生が復帰後に期待し議論している様子や米軍基地の撤去を求めて抗議のデモをする姿が写っていた。
吉岡さんは写真に写っていた当時の高校生を探し、沖縄の歩みと高校生たちのその後の人生を辿っていく。嘉手納基地に近い読谷高校で、校庭に机を並べて真剣な議論をしていた女子高校生は「理不尽な思いをしていた」と語る。本土の大学を出て仕事をし、12年前に親の介護のために地元に戻った。基地を返還しろと言うだけではなくその後に何をつくるのかを考えておかなくてはいけないと話す。「高校生は政治活動をしてはいけない」という通達に反発して秘密の会合をしていた高校生は、地元で就職し定年を迎えた。今も戦闘機が頭上を飛ぶ嘉手納基地の近くに住み、「どれだけ訴えようと、日本人は答えない」と、復帰後も変わらない基地の状況を憂えている。女子高校生刺傷事件に抗議する集会で演説をしていた前原高校の生徒会長は、「本土復帰に期待したのは、日本国憲法の中に入ることだった」と話す。高校教師を務め退職した後も毎週街頭で基地の撤去を訴え続けている。同じ高校の別の生徒は退学して政治活動に入り。上京して印刷を学んだ。都会で差別に苦しむ沖縄県出身者の交流の会をつくって仲間を支え、その後沖縄に戻って印刷会社を経営している。
今、読谷高校では生徒たちが、歴史として復帰50年を学んでいる。生徒たちの望みは、「平和な沖縄」「安心して住み続けられる沖縄」だ。本土復帰に期待して熱い議論を交わしていた高校生たちも60歳を超えた。吉岡さんが訪ねた当時の高校生の思いはまだ道半ばであり、本土に暮らす人たちにどこまでその思いが伝わっているのだろうかと感じた。(石田研一)

元少年Aに見てもらいたい

NNNドキュメント’22
「生きる力 神戸連続殺傷25年 途絶えた手紙」
5月22日放送/24:55~25:50/読売テレビ放送

「神戸児童連続殺傷事件」が起こってもう25年も経つのか、というのがこの番組を視聴した第一印象だ。自らを「酒鬼薔薇聖斗」と名乗った加害者少年Aの人物像をめぐり取材が過熱したことを鮮明に記憶している。犠牲者は山下彩花ちゃん(当時10歳)と土師淳くん(当時11歳)。本作はこの事件の遺族らの25年間の葛藤を描いた作品だ。タイトルの「生きる力」は、亡くなった彩花ちゃんが事件直前に書いた書き初めの言葉で、今も遺影の側に掲げられている。この言葉をタイトルにして、彩花ちゃんの母・京子さんは事件から9カ月後に本を書いた。そこには「彩花へ-『生きる力』をありがとう」と記されている。京子さんは、がんと闘いながら各地で講演を行い被害者遺族の思いを訴えていたが、5年前に乳がんで亡くなった。
一方、もう一人の被害者土師淳くんの父・守さん。犯罪被害者の苦しみを、同じ境遇の人たちと分かち合い社会に訴える活動を始める。犯罪被害者の会を結成し、被害者支援の活動を続ける姿が淡々と描かれる。
遺族にとって最も知りたいことは、「なぜ、娘や息子が死なねばならなかったのか」ということだ。それを加害者本人の口から聞くすべは少年犯罪においてはない。Aと被害者らの唯一の接点は、年に一度、Aから一方的に送られてくる手紙だけだった。だが、そのAは2015年、突如「手記」を公表する。遺族の気持ちを逆なでする一方的な手記に遺族らは強く反発した。そして手記を公表して以降、遺族の元にAからの手紙も来なくなる。彩花ちゃんの父・賢治さんは言う。「申し訳ないという気持ちになるのであれば再度手紙を書き続けるべき」だと。
賢治さんは、亡くなった彩花ちゃんが通っていた小学校の校庭に植えられた桜が毎年咲くたびに彩花ちゃんのことを想うことが、生きる希望なのだと言う。25年前のわが子の姿が今でも目に焼き付いている遺族にとっては、事件の真相を知ることこそが「生きる力」となっているのだと、この番組は訴えている。元少年Aにも見てもらいたい番組だ。(桶田 敦)

★「GALAC」2022年8月号掲載