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【ギャラクシー賞テレビ部門2月度月間賞】-「GALAC」2024年5月号

マニアックすぎる番組、再び深夜へ

私のバカせまい史「いつからボケられなくなった…クイズ番組芸人の苦悩史」
2月1日放送/21:00~21:54/フジテレビジョン

これまで誰も調べたことのないような歴史に独自の考察を加えるこの番組。なかでも今回の調査結果は完成度も高く、面白さのなかにもすぐれたテレビ研究の論文を読んでいるかのような味わいがあった。
「クイズ番組で芸人はいつからボケられなくなったのか?」という疑問から調査を進めると、2005年という年が浮かび上がる。あるクイズ番組のなかで、難問に正解を連発した品川祐が「この番組のこのクイズのためだけに勉強しました」と発言。本人はボケのつもりだったのだが、やがて「正解したほうが目立てる」となり、「勉強しました」がボケではなくなった。
その流れをさらに強めたのが、同じ2005年開始の「クイズ!ヘキサゴンⅡ」から起こったおバカタレントブーム。おバカな珍答のツッコミ役として、芸人のほうが間違えられなくなった。以降もクイズ番組におけるチーム戦形式の増加、同じ芸人でも宇治原史規やカズレーザーのような「クイズモンスター」の出現により、芸人はますますボケられなくなって現在に至る。
こうした知られざる歴史が実際の番組映像や芸人本人への取材、番組集計によるデータなどをもとに一つひとつ明らかにされていく。そこにはクイズ番組とバラエティ番組の密接かつ複雑な関係、芸人の熾烈なサバイバル事情などが透けて見えて、実に興味深い。
バラエティ番組に必要な笑いもちゃんとある。番組が「クイズ番組でボケて炎上した最初の芸人」を調査したところ、5代目三遊亭圓楽であったことが判明。今回の調査のきっかけとなった発言の主であり、ゲスト出演していた伊集院光が大師匠の恥を掘り起こす結果になるという奇跡のようなオチがついた。これもまた、高いリサーチ力が手繰り寄せたものだ。
そもそも、このようなマニアックすぎる番組がゴールデンタイムでレギュラー放送されていること自体がやはり奇跡のようなことだろう。4月からは再び深夜帯に移動するとのことだが、そうであればいっそうディープな視点から新たなテレビの見方を教えてくれるような調査結果を大いに期待したい。(太田省一)

痺れるばかりの”職人魂”

NHKスペシャル「驚異の庭園~美を追い求める 庭師たちの四季~」
2月11日放送/21:00~21:49/日本放送協会

1970年に実業家の足立全康氏が自身の故郷である島根県安来市に創設した足立美術館は、横山大観の絵画コレクションに加え、その絵に描かれた自然の風景を再現した日本庭園で知られる。大きなガラス窓を通して見る庭園はさながら額縁に入った美しい絵画のようだ。世界中に多くの読者をもつアメリカの日本庭園専門誌のランキングでは21年連続1位に輝き、国内外から年間45万人が訪れるという。
その見事な庭園を作り上げる美術館専属の庭師たちの1年間を取材したのがこの番組である。面積にしてサッカーグラウンド2面分の広さ、およそ2000本の樹木を手入れするのは5人の庭師。客は庭園に足を踏み入れることはなく室内から窓越しに見るのみとはいえ、落ち葉1枚あってはならないほど、いかなる角度から見ても完璧な美を追求する。風、雨、雪、伸びてゆく草や枝葉などあらゆる自然現象に対応しながら樹木の形を整え、その人工的な美が遠景に広がる自然の山々と融合して計算し尽くされた絵画のようになる。日々の緻密な仕事ぶりには圧倒されるばかりだ。
番組では、同誌のランキングで2位の京都・桂離宮にも取材カメラが入る。この庭園は宮内庁の技官による伝統的な技法で手入れがなされ、400年変わらぬ景色が保たれている。彼らの仕事にも、客が気づかないようなところも決して手抜きをせずにやるべきことを やるという“日本のものづくり”の原点にある矜恃が貫かれ、清々しくも背筋が伸びる思いがする。
国力の衰えから目を逸らそうとするかのように「ニッポン、すごい!」を前面に出すテレビの風潮には辟易するが、この番組が見せてくれたのは心から称賛したくなる“日本の美意識”のありようだった。
「庭師は影の存在、本当は取材など受けたくない」「ランキングではなく今日見てくださるお客さんのため」と話す庭師たちは、番組最後、1位の連続記録更新の知らせに静かに喜んだのも束の間、すぐに「じゃあ、仕事しましょう」とおのおの竹ぼうきを手に樹木のなかへ……。その“職人魂”に痺れた。(永 麻理)

兵士となった市民が伝える戦争

NHKスペシャル「戦場のジーニャ~ウクライナ 兵士が見た“地獄”~」
2月25日放送/21:00~21:50/日本放送協会

20世紀は映像の世紀であり戦争の世紀であった。1991年の湾岸戦争では、多国籍軍のイラクへの攻撃が、テレビの生中継で初めて放送された。ただ、これまでの映像は主に従軍記者やカメラマンが撮影したもので、しばしば国民を鼓舞しプロパガンダに使われた。この番組では、ウクライナの市民が兵士となり、最前線でスマートフォンや小型カメラで自ら撮影した映像と、兵士へのインタビューで残虐な戦場の実態を伝えている。
「01地雷」では、反転攻勢に転じたウクライナ軍がロシア軍の地雷に行く手を阻まれ、装甲車両が破壊される様子が映されている。兵士の一人が地雷を踏み、足に大けがをして装甲車両に収容されるシーンでは、車両にべったりと血糊がつき衝撃的な映像だ。
「02塹壕」では、ウクライナの兵士が塹壕を掘ってロシア兵と対峙している。その距離は、近いところでは80メートルほどで、ロシア兵の会話も聞こえる。ロシア兵を銃撃するシーンや重傷を負ったウクライナ兵が叫ぶシーンが映されている。
「03ドローン」では、ウクライナ兵がドローンを操縦し、ロシア兵の姿を確認し真上に爆弾を投下する。ウクライナ兵は「私はゲームだと思うことにしました」と話す。戦場に赴いた兵士は多くが精神に障害を負い、妻たちは「戦争は夫を変えてしまいました」と語る。多くの人たちを殺し、傷つける戦争への強い憤りを感じさせるインパクトのある番組だ。
この番組では、冒頭で「死体や重傷の兵士の映像が流れます。小学生以下の子どもの視聴は控えることをお勧めします」と断りがあった。画面をぼかしているとは言え、家庭に届く映像としてはギリギリの線なのかもしれない。また、番組では、兵士の撮った映像が多用されている。テレビ局が独自に取材する姿勢は大切だが、戦場など危険な場所ではこうした映像を生かした番組づくりもやむを得ないと感じた。事実は何かを多くの人に伝えることがより重要だと思う。(石田研一)

男たちの顔に刻まれた人生譚

NNNドキュメント’24「釜ヶ崎の肖像 明日への3000枚」
2月25日放送/24:55~25:50/読売テレビ放送

大阪市西成区あいりん地区。けれども、いまだに人は「釜ヶ崎」と、かつての愛称で呼ぶ。日雇い労働者たちが集まる、日本最大の寄せ場である。1970年の大阪万博や千里ニュータウンの建設で栄えたが、2023年には、ここで暮らす者の約4割が生活保護受給者となった。指名手配犯が潜伏することも多く、数々の暴動も相まって、今なお「危険な街」としての印象は強い。
そんな釜ヶ崎に、年越しとお盆の年2回、写真小屋が建つ。三角公園内に設置される「釜の写真館」である。この番組は同写真館に集う者たちの記録である。ボランティアで写真を撮る石津武史(79歳)は、相手の名前や出身地を聞くことはしない。さまざまな経緯から釜ヶ崎に流れ着いた者たちは、「無名」だ。しかし、石津が写す彼らの一瞬の表情からは、それぞれの人生譚、これまで歩んできた道のりが見えてくる。白黒写真ゆえに強調される顔の皺が、生きてきた証を浮き彫りにする。
「こんな親父おったんやっていうことを残したい」「(お盆の)慰霊祭のときに自分の写真を貼ってほしい」「明日がわからない」。そう語る男性たちにとって、写真とは自らの今を証す重要な媒体である。年に2回、この写真館で撮られることで「ことしも生きとるでや」と自らの生を確認する。そんな重い語りとは裏腹に、番組内に登場する者たちの表情はとにかく明るいのが印象的だ。そこに「危険な街」としてのイメージはない。
もちろん、この番組も釜ヶ崎の一断面に過ぎない。これまで多くのルポや映像が釜ヶ崎の厳しい実情を伝えてきた。しかし、この番組が描く石津の取り組みやそこに集う者たちの表情、笑み、写真館に貼られた無数の白黒写真、自らの展示写真に涙する男性を見ていると、「幸せとは何か」を深く考えさせられる。豊川悦司の落ち着いたナレーション、「金持ちほど汚くなる」と語る男性の言葉、執拗に映される「あべのハルカス」との対比ショットも効果的だった。(松山秀明)

★「GALAC」2024年5月号掲載