ニッチな題材に、熱き想い
「東京ゲソ天ブルース 素晴らしき立ち食いそばの世界」
4月1日放送/24:55~25:55/フジテレビジョン sukima
食は現代のテレビに欠かせないコンテンツであり、その企画は多岐にわたって枝葉を広げている。とはいえ、「東京ゲソ天ブルース」はなかなかに大胆だった。何しろ主題はゲソ天。ちなみにゲソ天はイカの足を細かく刻んで衣で揚げた天ぷらのことで、立ち食いそばのトッピングメニューの一つだが、決して人気、定番というわけではない。ゲソ天は下ごしらえが大変ということもあり、立ち食いそば大手チェーン店のメニューにもほぼ扱われていないのが現実だ。全国区ではなく、東京を中心に根強いファンの支持を得ているメニューである。このゲソ天およびゲソ天そばにスポットを当てた本作は、短尺ではなく60分という腰を据えたドキュメンタリーであることが心をざわつかせた。
廉価で食べ応えがあり労働者や学生の外食を支えるゲソ天。その存在をブルースに投影し、ナレーションを排した乾いた映像に、町の雑踏が匂い立つようなブルースハープをBGMで絡めて狭い世界へ誘い込む。日本そば研究家の山中正人が水先案内役で、ゲソ天そばの歴史、現在ある名店の個性などが紹介されていく。インタビューで登場する店主、店員たちはこだわりを欠かさず、ごく淡々と自身の仕事を語っていく。なかでも1970年代から東京各地で立ち食いそばの店舗を広げた「六文そば」で働き、その味を引き継いで「一由(いちよし)そば、一〇(いちまる)そば」を開業した小森谷守はその筆頭。彼のスタンスは「小盛り」「そば無料週間」などたびたびビジネスを離れ、客優先の思いから名物メニュー「ジャンボゲソ天」が誕生していた。そんな個人店主たちの存在が相まって、ゲソ天という食文化が過去から現在へと繋がる姿が全6章の構成で静かに淡々と伝わってきた。
狭い厨房でゲソ天をジュワジュワ揚げる音が奏でられ、茹でたそばにゲソ天がサクッとのせられ、熱いツユがたっぷりとかけられ湯気が立つ。決して特別ではない庶民の一杯。見終えて抱くゲソ天へのただならぬ親近感。ニッチな題材に誠実に向きあい、その趣を結実した制作者の思いが沁みてきた。(松田健次)
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雨の音につつまれた鎮魂歌
NHKスペシャル「Last Days 坂本龍一 最期の日々」
4月7日放送/21:00~21:59/日本放送協会
この番組を伴奏したのは坂本龍一が好きだった「雨の音」であり、言うまでもなくビデオを回した家族だ。雨音については、最期の日々を綴った彼の著書『ぼくはあと何回、満月を見るだろう』にも、「(入院中一晩流し続けた)YouTube上の雨の音は圧縮された別もののはずなんですが、それでも心が落ちつきます」と書いたほど。
本作は、亡くなる2日前の2023年3月26日の冒頭の映像に始まり、終盤の死への恐怖についての会話まで、まさに親子ならではのプライベートフィルムの一面を見せて心を打った。さらに田中泯が日記を読む以外、説明のためのナレーションを排除したことにより、世界に響きわたる厳かな鎮魂歌に昇華させたといっても過言ではない。
また、亡くなったあとのNHK MUSIC SPECIAL「芸術は長く、人生は短し」(23年7月6日)をはじめ、東日本大震災以降続いている東北ユースオーケストラとの活動を描いたETV特集「未来へのETUDE」(4月13日)、お気に入りのNHK509スタジオでの世界同時配信コンサート(余命宣告翌日の20年12月12日)まで無数の番組収録が信頼関係を着実に築きあげ、それが家族提供のビデオや、病室の忠実な再現に繋がっているのは言うまでもない。
個人的には「葬式無用・戒名不用」の私だが、坂本が生前用意したフューネラル・プレイリストに、私も好きな曲が多いのでじっくり聞き直そうと思うし、病室で読まれた本も参考になってとてもありがたい。
凡庸な制作者だった私は勝手に書きかけの楽譜にあった全休符を最後に使うかと想像したが、番組は静かに「午前4時32分雨が降る中息を引き取った」とだけ出した。ニューヨークの家の庭に19年以来雨ざらしにしたグランドピアノを弾くシーンも、またそれが朽ちてしまったクレジットバックの画も印象的だ。「坂本龍一の音」は、地球誕生以来あって譜面に表しきれていない雨音とともに、これからも永遠に存在すると言いたかったのではないだろうか。(福島俊彦)
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少年犯罪記録の破棄で失われたもの
BSスペシャル「裁判所が少年事件記録を捨てた それは何を奪ったのか」
4月18日放送/23:25~24:15/日本放送協会
1997年に起きた神戸児童連続殺傷事件の全記録が廃棄されていた。それが報じられたのは昨年10月のこと。第1報を耳にし、仰天したのは言うまでもない。世間を震撼させた少年事件の供述調書や精神鑑定などの記録が棄てられてしまうとは……。なぜ彼が罪を犯したのか、事件の真相が記された貴重な資料、それを保存期間が過ぎたからとなんの疑問も持たず、破棄してしまうとはどういうことなのか。本作は、遺族や弁護士、裁判所関係者への取材を通し、デイリーのニュースでは見えにくい少年事件の“壁”に迫り、失われた記録の意味を問う渾身の調査報道だ。
神戸児童連続殺傷事件だけでなく、2004年の長崎・佐世保小6女児殺害事件も、12年の京都・亀岡暴走事故もすでに廃棄、その数は実に52件にも及んだ。規定によれば、保存期間は最長で加害少年が26歳になるまで。少年の更生の妨げになるため、原則、廃棄が当たり前だということ。ただし、社会の注目を集めた事件、少年非行の調査研究で重要な参考資料になる事件などは、各地の裁判所で「特別保存」に指定し永久保存される、とも明記されているのだが……。
神戸児童連続殺傷事件をきっかけに少年法は改正され、重大事件の被害者や遺族は記録の閲覧や審判の傍聴が可能になったものの、法改正前の事件は対象に含まれなかった。被害者遺族の土師守氏は「遺族にとって事件記録はなぜ事件が起きたのかを知るために大きなものです。記録があるのとないのとでは雲泥の差があります。記録の廃棄は、子どもが生きた証を奪っていくことです」と訴える。
一方、アメリカの場合。殺人事件などの記録は永久的に保存、さらに研究対象として教材として利用されている。研究者曰く「犯行のパターンがわかれば未然に事件を防ぐ手がかり、記録から気づくことがある」と。一方で、「記録を永久に保存することは加害者の更生の妨げになる」という意見も。
事件記録の意義が問われる。残された課題は山積している。継続取材に期待したい。(桧山珠美)
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原作の良さを損なうことなくドラマ化
プレミアムドラマ「舟を編む ~私、辞書つくります~」
2月18日~4月21日放送/22:00~22:49/日本放送協会 日テレアックスオン
テレビドラマに登場する“編集部”は鼻につく嘘臭さを持っていると、多くの出版関係者が思っている。ロケが実際の出版社の中で行われることもままあるが、映像化されたその現場には美化され、あるいは戯画化された編集者たちがいる。視聴者を面白がらせるつもりなのだろうが、当の編集者は冷笑する。この“電波”と“出版”の溝も、本作は乗り越えてみせた。
そもそも三浦しをんの原作は2012年、ぶっちぎりの高得点で本屋大賞を受賞した小説だ。他の文学賞と異なり書店員が投票で選ぶこの賞は、同じ本好き・本読み同士の編集者も共感し、信頼を寄せる。その賜物を、脚本も演出も損なうことなくドラマ化した。
多くの出版社で花形部署である女性ファッション誌の編集部から、このドラマでの女主人公であるみどり(池田エライザ)は突然に辞書編集部に異動させられる。中型国語辞書『大渡海』の完成を目指して延々と続く慣れない作業に戸惑いながらも、仕事に一途な上司・馬締光也(野田洋次郎)に感化され「ことばという広く深い海を冒険する舟を編む」仕事にみどりは目覚めていく。金食い虫と目される辞書作りへの周囲の目は決して温かくはないが、監修者の日本語学者・松本(柴田恭兵)や『大渡海』のために究極の紙の開発を目指す製紙会社の営業・宮本(矢本悠馬)、頼れる宣伝部員の西岡(向井理)らの励ましは心強い。幾多の困難を乗り越えながら、辞書は発刊の日を迎える。
原作での主人公である馬締ではなく、ドラマでは辞書編集の初心者であるみどりの視点で描くことによって、より物語の魅力に入り込みやすい工夫がなされている。視聴者はみどりと同様、何度も台詞に登場する言葉でもある「語釈」に魅せられ、絡めとられていくことになるだろう。辞書の字面のかたちが宙に浮き上がり、そのまま画面に重ねられる演出も心地よい。柴田恭兵のループタイを締めた学者風情も妙に真実味がある。本来“つくる”ものである舟を“編む”とはどういうことなのか。このドラマ自体が全10回をかけて、その語釈を行ったようにみえる。(並木浩一)
★「GALAC」2024年7月号掲載