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ギャラクシー賞テレビ部門2024年6月度月間賞

クドカンの作家性とキャストの好演

ドラマ25「季節のない街」
4月5日~6月7日放送/24:42~25:13/テレビ東京

 「季節のない街」は、昨年8月からDisney+で配信された全10話の連続ドラマだ。それが、今年4月からテレビ東京で放送された。脚本は宮藤官九郎。宮藤は半数の回の演出も務め、企画にも名を連ねている。原作は山本周五郎の同名小説で、この作品は、黒澤明監督の映画『どですかでん』の原作としても有名だ。宮藤は黒澤映画の中でもとりわけ『どですかでん』が好きで、以前からリメイクの構想を抱いていたという。
 その思い入れの深さがよくわかる秀逸なキャスティングがまず冴えている。『どですかでん』では主人公だった六ちゃんは濱田岳。彼以外考えられないようなハマり役だ。喜劇役者・伴淳三郎が演じた島さんに、芸人である藤井隆を起用するなど映画を踏まえたキャスティングも気が利いている。そのワイフにLiLiCoというなかなか思いつきづらいところを持ってくるあたりも、宮藤らしさが光る。
 さらに映画版では登場しなかった半助を年齢設定などを変え、池松壮亮が演じ、狂言回し的な主人公に据えている。これによりオムニバス形式の原作を、連続ドラマという特性を最大限に生かした群像劇に仕立て上げていた。
 原作では戦後のバラックであった物語の舞台を、“ナニ”という災害によってできた仮設住宅の「街」に置き換え、しっかりと現代の物語にしている。また、現代では女性蔑視や差別的と捉えられる原作の表現も少なくないが、それを巧妙に避けつつも、物語的には胸糞悪くなるようなエピソードも容赦なく描いている。一方で、半助の愛猫・トラが皆川猿時により擬人化されるなど、宮藤らしいコメディ要素も忘れず、ベースのもの哀しさは維持したまま、重くなりすぎない軽やかさも魅力だった。
 最終回では、「街」としては悲劇的な最後を迎えるが、なんだか「お祭り」感のようなものがあって、逆に前向きな感じになるから不思議だ。
 宮藤官九郎の作家性と役者たちの好演が噛み合った味わい深いドラマ化だった。(戸部田 誠)

連ドラがたどり着いたリアリティ

「アンメット ある脳外科医の日記」
4月15日~6月24日放送/22:00~22:54/関西テレビ放送 MMJ

 本作は杉咲花と若葉竜也が「川内ミヤビ」と「三瓶友治」として息づいてゆくプロセスを、俳優と監督・脚本家らスタッフ全員が連続ドラマというフォーマットを最大限生かして創り上げていったドキュメンタリーだったと思う。もちろんこれは医療ドラマというフィクションなのだが、終盤の二人のシーンには演技を超えた圧倒的なリアリティがあった。
 脳外科医であるミヤビは事故で脳を損傷し、過去2年間の記憶をすべて失ったばかりか、朝起きると前日の記憶を失くしているという記憶障害を患っている。ミヤビが勤務する病院に、かつて婚約者であった脳外科医・三瓶が赴任し、ドラマが動き始める。
 特筆すべきは、本作がミヤビの状況を悲劇として描かなかったことだ。ナレーションもなく、毎日記憶がリセットされてしまうことの恐怖や不安をミヤビが声高に表明することもない。ミヤビには忘れてはいけないことを記録し続ける日々の日記があり、「私には今日しかない」という記述は、初回で三瓶の出現によって「私の今日は明日に繋がる」と書き改められる。そして主治医の大迫教授(井浦新)や同僚ら周囲の人々も、ミヤビの症状を厄介に思うどころか積極的に支え、毎日ミヤビの新しい記憶をともに創っていく。
 なぜ周囲の人々はこんなにもミヤビに協力的なのか。おそらくその答えは、本作において最も重要な台詞「自分の中に光があったら暗闇も明るく見える」に集約されている。これは三瓶が言った「どこかに光を当てると影ができて〈アンメット〉という満たされない状況が生まれる」という言葉に対する、記憶を失くす前のミヤビの返答だ。ミヤビはこの言葉通り、記憶障害に陥っても自らの内なる光で、毎回、周囲の人間や患者を照らし続けるのである。
 記憶を失っても失われないものがあるというのも、本作の重要なメッセージだ。ミヤビの場合、それは内なる光だったのだと思う。素顔に近い杉咲のクローズアップと豪快な食べっぷりの反復は、間違いなく視聴者をも照らし続けてくれた。(岡室美奈子)

精神病院の闇を変えられない社会

ETV特集「死亡退院 さらなる闇」
6月29日放送/23:00~24:00/日本放送協会

 これは、ただただ暗然とするばかりの衝撃だ。
 昨年2月に放送された、告発スクープ報道「ETV特集『ルポ 死亡退院~精神医療・闇の実態~』」は、東京・八王子市の滝山病院における精神病入院患者への異常な虐待の事実を初めて明らかにし、私たちを強く驚かせ憤然とさせた。番組はその非情な虐待行為のみならず、人権侵害を平然と行って恥じない同病院の醜悪な構造にも踏み込む深い取材で、第60回ギャラクシー賞テレビ部門奨励賞の評価を得た。
 今回の番組はその続報ということになるのだが、単なる続報に留まらず、前回放送時点からさらに深刻化している滝山病院をめぐる状況、そして今の日本社会に潜む劣悪な本質までもはっきりとえぐり出している。
 報道の影響もあったか、昨年4月以降、同病院へは東京都の改善命令、厚労省の虐待防止通知が発令され、5月には都による患者の希望転院退院への行政支援が行われることとなり、また病院のほうでも、第三者委員会設置による実態解明へ動き出す格好となった。
 しかし何と言うことだろう。この1年余、状況改善は遅々として進まず、転院希望患者のほとんどが滝山病院を抜け出せぬまま、改善どころか院内では、患者たちの多くに不適切と思われる過剰で不要な投薬が無配慮に施され、深刻な褥瘡などで体調を激しく悪化させていくなか「死亡退院」がずるずる重ねられるむごい有り様がいまだに変わらず続いているというのだ。
 そして番組は、厚労省や行政、第三者委員会、あるいは精神病院協会などを含む病院を取り巻く者たちに鋭く迫り、本来この劣悪な状況の解決を積極的に図るべき立場にあるはずの彼らが、他人事のように責任逃れの弁明を繰り返す様子を明瞭に示していく。
 「闇」は滝山病院のみにあるのではない。今回の放送が伝える真の怖ろしさは、この惨状が白日の下に晒されてもまったく事態を変えられない、いや実はホンキで変えようとしていない、この国の醜い姿なのではないか。「精神医療をめぐる問題は私たち社会の映し鏡」という言葉が重く響く。(西畠泰三)

法医学者たちに襲い掛かる重圧

NHKスペシャル「法医学者たちの告白」
6月30日放送/21:00~22:00/日本放送協会 VOZ NHKエデュケーショナル

 朝4時、勤務先まで10キロ歩く男。千葉大学法医学教室の教授・岩瀬博太郎、日本法医学会の理事でもある。仕事のストレスから不眠症になり10年前から歩き始めた。20人のスタッフと年間400体を解剖する。検死官は3倍に増えても、法医学では人も予算も増えていない。逆に解剖依頼が数週間待ちとなり、警察からは効率化を求められている。一歩間違えば犯罪を見逃し冤罪を生む。とてつもない重圧に息が詰まる。
 昨年春、袴田事件再審への道を開いた旭川医科大学の清水惠子教授は、祈ることでこの重圧と折り合ってきた。公正な医学的判断を大切にし「自然科学に対して誠実でありたい」と裁判での証言を引き受けた。
 しかし、科学的証言が厳密に扱われない例もある。1996年の猟奇的事件では、岩瀬の証言が当時の権威に一度否定された。が、後に決定的な証拠と真犯人の自白により警察の見立てが否定された。2005年の栃木小1女児殺人事件では、岩瀬が留保を付けた点は採用されず、死亡推定時刻も編集された。二審で弁護側の証人となった東京大学名誉教授の吉田謙一は、現場のルミノール反応が血液ではない可能性を示した。しかし、検察は殺害現場と日時を変更する手続きをとり、再審でも無期懲役の判決となる。吉田は、裁判が事実認定の場であることを無視している、日本の裁判は海外の指摘どおり「中世並みの暗黒裁判」だと断じた。 
 東大法医学教室で岩瀬や吉田と同じ教室にいた小林雅彦は21年前に渡米、現在はハワイのホノルル監察医事務所の所長である。オアフ島で年間3500体の異常死体を扱い、強制力のある捜査権をもつ捜査官11人を率いる。小林は遺体の管理や解剖の決定権をもち、警察から独立した完全に中立的な専門官なのだ。
 県警から「安くて早い大学へ」依頼先を変更すると宣言され岩瀬は、解剖を一部効率化して受け入れを増やした。将来が真っ暗という岩瀬。犯罪の見逃しや冤罪が増える恐れを指摘する。この社会はどうなっていくのか、心のざわつきが止まらない。また、大きな課題を社会に突きつけた労作である。(篠原朋子)

★「GALAC」2024年9月号掲載