青春と成長の定点観測
拝啓 十五の君へ~30歳になった私からのメッセージ~
10月2日放送/22:00~22:44/日本放送協会
長崎県五島列島にある若松中学校の卒業生が30歳という節目で再会し、それぞれの半生を見つめあった。語られたのは船出した社会での順風も逆風もある日々。島に残った者と出た者。就職に離職。結婚や離婚。出産と育児。人間関係。悩みと克服。今を生きる若者たちが等身大で歩む姿が身近な共感となり深く響いた。
事の始まりはアンジェラ・アキが歌った『手紙~拝啓 十五の君へ~』。2008年にNHK全国学校音楽コンクールで課題曲となり全国の中学生に歌われた。その年、アンジェラと若松中学の生徒は番組を通じて出会う。彼らのコンクール挑戦と卒業までの日々を追った「拝啓 十五の君へ 若松島編~歌と歩んだ島の子どもたち~」が2009年に放送された。その5年後、彼らが成人した2014年には「拝啓 二十歳の君へ~アンジェラ・アキと中学生たち 再会そして未来へ~」を放送。それから10年後の今年、30歳となった彼らを映し出したのが本作である。あどけなかった表情が皆、大人びた横顔に。3作の連なりから彼らの足跡を見守る見事な定点観測となった。
アンジェラの『手紙』は彼女が30歳のときに15歳の自分に向けたメッセージソングとして創作されたもの。その由来が本作の企画になっている。30歳の彼らが15歳の自分に綴る手紙、「15歳のたくさん悩んでいる私 たくさん悩んでくれてありがとう 過去の私が何度も何度も悩んできたおかげで今の私が強くいられる 今の私は簡単にへこたれないよ」など、紡いだ言葉の濁りない思いが胸を圧す。その端々には低迷する時代を懸命に生きる姿も垣間見えた。彼らを受け止める精神的支柱となったアンジェラの存在も大きい。そしてラストの合唱、これまでの時の流れが幾重にも押し寄せ、わかっていても感情を揺さぶられた。
この場に集ったのは中継の2人も入れて15人。推察すれば今の自分を公に伝えられず欠席を選択した者もいただろう。それも含め、中学のひとクラスの歩みにつぶさに寄り添った本作に接し、その同窓会に紛れ込んだようなほろ苦さに包まれた。(松田健次)
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ガザの詩人が世界に遺した物語
NHKスペシャル「If I must die ガザ 絶望から生まれた詩」
10月13日放送/21:00~21:50/日本放送協会
もし私が死ななければならないのであれば
あなたは生きなければいけない
私の物語を伝えるために
ガザの詩人リフアト・アライールが遺した詩の始まりである。2023年11月、SNSに掲載され反響を呼んだ。しかし、彼は翌12月にイスラエルの空爆により死亡。その死後、この詩はSNSで瞬く間に広がり、いま70以上の言語に翻訳されている。番組は、詩人が遺したメッセージを受け止めた多様な人々の思いを丹念に取材し、遺作の力をさらに大きく伝えている。
彼は、ガザの大学で16年間文学を教えた。学生と立ちあげた『私たちは数字ではない』というプロジェクトでガザの実情を英語で発信する。そのきっかけは、2008年、3週間で1400人のパレスチナ人が殺害されたハマスとイスラエルとの大規模な軍事衝突である。学生には、イスラエルがパレスチナ人と土地の繋がりを引き裂こうとしても「文学は私たちをパレスチナに繋ぎ戻してくれる」と伝え、生き残った私たちは「希望の物語を語るためにここにいるのだ」と説いた。
アメリカではイスラエル政府に対しては批判的な立場を取ってきたユダヤ教徒と交流し、彼らの娘同士がいつか出会うことを願っていた。また、学生たちの反ユダヤ主義的な発言を批判し、人種、宗教が経験する苦悩を知るように指導した。
詩は、自分の遺品で作った白い凧が舞い上がるのをガザの子どもが見て、天使が愛を届けに来てくれたと思ってくれたらと願い、次のように終わる。
もし私が死ななければならないのなら
その死が希望をもたらしますように
その死が物語となりますように
甥を亡くした絶望のなかで、英語を教えてかろうじて人間性を保っているという女性は、この詩が責務を果たすように励ましてくれると語る。彼の“遺言”のように永遠に残された「言葉」と「物語」。その力が大きなうねりとなり、一日も早く停戦が実現して地球に天使の愛が溢れることを心から願う。(篠原朋子)
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障害者虐待への怒りの報道
テレメンタリー2024「沈黙の搾取 見過ごされた障害者虐待」
10月19日放送/4:50~5:20/北海道テレビ放送
北海道恵庭市にある遠藤牧場で働いていた軽度・中度の知的障害者3人が、2023年8月に恵庭市と遠藤牧場に対し損害賠償を求めて訴訟を起こした。
牧場主であった遠藤昭雄氏が20年に病死し、障害者たちが牧場を離れ転居したことから事態が公になったわけだが、彼ら障害者3人は20年を超える長きにわたり(最長は45年)、劣悪な環境下で無償の労働をずっと強いられ続けていたばかりか、それぞれの障害年金も横領されていたという。
北海道テレビは粘り強い取材で、当該の障害者、そして牧場に出入りしていた第三者などの証言を掘り起こし、彼ら障害者たちが同牧場でどのような暮らしをしていたかを明らかにしていく。
牧場内に設置された狭小なプレハブ小屋で彼らは寝泊まりさせられていたのだが、トイレはなく、十分な暖房対応も与えられず、扉は外から閉め切られたために室内は汚物のにおいがしたという。満足な食事もとれず、不衛生な汲み置き水を飲料水としていたなど、その苛酷な環境についての証言は、凄まじく生々しい。ちなみに牧場側は、無報酬ではあったがお菓子やジュースは提供していたと、冗談のような答弁をしている。
そして、この虐待状況を少なくとも2016年には、恵庭市は市の障害支援センターなどからの報告で知り得ていたはずなのに、調査も指導もせず放置していたというのだ。番組は、この理不尽な市の不作為が、どうやら市議会議長も務めた市の有力者だった故・遠藤氏に対する過剰な忖度によるものであるらしいことを示す。市のほうはこれを真っ向から否定し、そもそも「虐待」の認識がなかったと主張しているが。
社会的監視の目の届きにくいこのような障害者への差別や虐待は、この恵庭市や遠藤牧場の事案のみに限ったものではないのかも知れないと思うと、暗澹としたものを覚えるが、開廷から1年を超えいまだに実態解明が進まず、双方の主張が平行線のままという裁判渦中の微妙な時期に、果断に明瞭な視点で問題提起した報道姿勢を評価したい。(西畠泰三)
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中年女性ふたりの共感溢れる日常
プレミアムドラマ「団地のふたり」
9月1日~11月3日放送/22:00~22:49/日本放送協会 テレパック
今回、最も多くの委員から高い支持を得たのが「団地のふたり」だった。小泉今日子と小林聡美の自然体の演技が何より素晴らしい。
保育園からの幼なじみ、野枝(小泉)と奈津子(小林)。50代半ばの二人が物語の主人公だ。野枝は大学の非常勤講師で、片道2時間かけて通勤している。専任教員の話もあったが、学内でいささか面倒なことに巻き込まれ立ち消えになった過去がある。一方、奈津子はイラストレーターを生業としており売れっ子だった時代もあったが、最近は仕事の依頼も減ってきた様子。互いにあれこれありつつ年を重ねて、50歳を過ぎ再び生まれ育った団地に戻ってきたという設定だ。
二人の日常は淡々と描かれる。大きな出来事は決して起こらないが、小さなエピソードの積み重ねが実に面白い。昭和のガラクタでしかないようなグッズをフリマアプリで売る。時には高値がつくことも。そんな日は二人の夕食が少し豪華になる。互いに一緒に住んではいないが、夕食は大抵、奈津子のもとを野枝が訪れて共にしている。
将来のことを考えて不安になったり、かつてのほろ苦い記憶で感傷に浸ったり、たわいもないことでちょっとした喧嘩をしたりと、一定以上の年齢の視聴者であれば、心の中は共感で満ち溢れるはずだ。中年ど真ん中の二人だが、高齢化が進む団地の中では若手の住人として扱われているのがいい。野枝も奈津子も甘んじてその心地よさにどっぷり浸かっている感がある。
ささやかなエピソードの中には、深く考えさせるものもあった。第3話、仲村トオルをゲストに迎えた回がとりわけ光っていた。春日部 (仲村)が、認知症を患い息子のことさえわからなくなっている母親の恵子(島かおり)を連れて、かつて住んでいた団地に戻ってくる話だった。野枝は春日部の初恋の人という設定だったが、甘く切ない結末が洒落ていた。
小泉と小林は実年齢も同学年。最終回での弾けた「二人紅白」、ファンにはたまらなかったはずだ。(影山貴彦)
★「GALAC」2025年1月号掲載